家事代行物語③

物語ライターりんさんのリアル家事代行物語、三部作のラストは、依頼当初はまだ私の夢であった産褥期家事代行の物語!
出産したママを訪れた私目線の世界です。

この物語すごいです!!
皆さんに読んでほしい!!

…*…ただ愛おしさだけを享受して…*…

産前産後の、いわゆる産褥期のお母さんの手助けがしたい。

その想いを抱いたのは、自分が本当に辛かった時期があったから。

後ほんの少し、助産師さんの訪問がなかったら、あの時自分はうつになり、笑って過ごすことはできなかったと思うから。

生まれたばかりの赤ちゃんを、ただただ『可愛い』と愛情をそそぐには、心と体に余裕が必須だと思い知ったから。

 *

「この子をだっこして横になって、起きても、こんなにゆったりした気持ちでいられるのって、もしかして初めてかもしれません」

生まれて2か月目を迎えた赤ちゃんを抱くお母さんの、疲れ切って強ばっていた表情にほんのりと笑みが浮かぶ。

布団で少しの間まどろんだ後というのもあるかもしれないが、産前産後ヘルパーとして、そして家事代行として、自分を訪れたこの部屋で迎えてくれた時の、あの張りつめた痛々しさが薄らいでいる。
陰っていた瞳にも、やわらかな光が見て取れた。

「部屋が掃除されて……キッチンにも洗い物がなくて……洗濯もきれいにたたまれて……買い物も終わっていて……」

ひとつひとつの変化をなぞりながら、腕の中の赤ちゃんに視線を落とす。

「ずっとこの子だけ見ていられるなんて」

「産後のママに必要なのは、疲れ切った体も心も休める時間ですから」

気がかりだったまわりのものが目に見えて片付いていくのは、体力面だけではなく、知らず知らずにのしかかっていた心の負担をも軽くしてくれるもの。
逆に、全身に痛みと疲労が残る状態で無理を重ねてしまえば、心身の回復はどこまでも遅れてしまう。

かつて、生後3か月を迎えるころが、最もお母さんの疲労がピークとなり、虐待が起こりやすいのだと聞いた時、産前産後の手助けがしたいと切に願ったのを思い出す。

「どうでしょう? もし動けそうでしたら、次は沐浴をしましょうか」

「はい、お願いします」

先程よりも張りのある声が返ってきて、相談のあった沐浴指導へと移る。

お母さんとも相談し、整理されることで広くなった台所のシンクにベビーバスを用意する。

「この高さだと腰に優しいですね」

「季節によってお風呂場とか洗面所でされる方もいるんですよ」

 入院中に助産師さんから教わったことを振り返りつつ、実際に自宅で育児をすることでつまずいたり不安だったりすることも、少しずつこぼれてくる。

「いろんなことをたくさん言われるんですよね……おっぱいのこととか、抱っこのこととか、ほかにも……」

義実家も近いし、母もすぐに来てくれる距離なんだから、自分は恵まれているはずなのに、ずっとずっとしんどいのだと、ため息のようにつぶやいた。

子供が泣きだしたら、とにかく抱き上げなくちゃいけないと、すべてを中断してそこにかかりきりになってしまう。
イライラして、キリキリして、反射的に子供に手をあげかけた自分が嫌になって。
自己嫌悪と罪悪感で押しつぶされそうになって。

もっと上手くできる、もっと子供と楽しい時間を過ごせる、こんなことをしたい、あんなこともしたい、連れていきたい、見せてあげたい。

そんなふうに夢を見ていた幸せな自分がいなくなってしまう怖さは、きっと、誰からも理解してもらえないという感覚に拍車をかける。

いまはネットの時代であり、知識はそこら中にあふれている。けれど、そんなたくさんの知識たちが偏っている可能性はあり、時には「自分は母親失格かもしれない」「自分のやり方はおかしいのかもしれない」という呪いに変わる。

頑張らなくてもいいという言葉は、ほんの少し伝え方を間違えるだけで、『あなたは母親失格だ』という意味に置き換えられてしまう。

何もわからないからこそ怖くてしかたがなくて、なのに誰にも頼れない。

自分しかいない。

たったひとりきりという、あのどうしようもない孤独感。

親も夫もなぜか頼れなくなってしまった、あの時期を自分も知っているから。

「ちゃんとできていますよ。大丈夫です」

自分自身の育児経験やこれまで学んできたことも織り交ぜて、こぼれた不安やつまずきにそっと寄り添い、ひとつひとつ一緒に考え、答えを出して。

自分の感情を大切にしてほしいと願いながら、お母さんのしてきたことへ、しっかりと肯定とねぎらいの言葉で返す。

そして、

「もっと気軽に、当たり前のように、頼ってください。ママが幸せだと赤ちゃんも幸せで、そうすると結局全員が幸せになるんですから」

いろいろな面から圧迫してくる雑多なことを任せてもらえたら、そこはこちらが引き受け、片づけていく。
すべてが初めてのことで戸惑いふくれあがっていく不安も、上の子を見ながら赤ちゃんのお世話のすることで生まれる別の大変さも、解決に向かう手助けもしていく。

そうしてお母さんが余裕をもって赤ちゃんとの時間を過ごすことができたなら、産後うつや産後ノイローゼとなることもなく。
本当に命がけでがんばって産んだ子どもへの虐待という悲劇もなく。
お母さんも子供もまわりも幸せになれる、めぐりめぐって広がる幸せを、ただ、目の前の我が子の可愛さだけに心を寄せられるようになるのだから。

「ありがとうございます」

 ほろりと泣きながら笑うお母さんへ、安心感という名の贈り物を届けたいと願い、笑顔を返す。

Copyright RIN

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札幌のおいしいグルメスイーツ巡り情報&時々メンタルな物語ライター的発信

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