東日本大震災から11年も経ってわかったこと
東日本大震災のとき、まだ片付けていなかった七段飾りのお雛様は、ぐしゃぐしゃに崩れてしまいました。お人形みんな無事。揺れがおさまってすぐに片付けました。
その後、飾る時期が来るたびに、また地震が来たら…と思うと出すことはできなくて、お内裏さまとお雛様だけを飾るようになりました。
離婚後転居した家ではお雛様を飾るようなスペースはなくて、再婚後に、今年11年ぶりに七段のお雛様を飾りました。
このお雛様は、私の祖母が私に買ってくれたもので、娘が継いでいます。
小さい頃、母とお雛様を出すのが楽しくて、お道具を並べかえたりして、よく遊んでいました。
震災の後、私の都合でしまいこんでいたお雛様を、久しぶりに全員揃った状態で見て、グッとこみあげるものがありました。
離婚時に手放すことも考えたので、あのとき処分しないことに決めて、本当に良かったです。
お雛様を節句のあとすぐに片付けないと嫁に行き遅れるというやつ。娘がいつまでも家にいたらいいなと、4月まで飾っておこうと思ったんだけど。震災の日のことを思い出して、やっぱり片付けることにしました。また来年飾ります。
震災の日のことはよく覚えていて、お雛様が崩れてしまったことの他には、本棚の中身がどっさり落ちて、食器棚から食器も大量に落ちて割れて、壁紙が破れて。道路がうねって、近所に1人で過ごしている人に声をかけたり。ガソリンがなかったり。
私は地震のとき、戸建ての2階で母とアクセサリーの内職をしていて、3歳になったばかりの娘と3人でした。
ストッパーをかけていなかったテレビ台が信じられないくらい動いて、私は娘をしっかり抱いて、テーブルを押さえていました。何かにつかまらないとどうしようもなかった。
おさまってもすぐにまた大地震が来て、家が壊れるんじゃないかと思いました。私が恐怖で泣いたら娘が泣くと思ったから、我慢したと思う。母は当時からリウマチで足が悪かったので、母のこともどうにかしなければならないし、アクセサリーには紅茶をぶちまけてました。納品に行けなくて取りに来てもらったり。自転車で納品に行ったりもした。
そのあと、元夫が帰ってきたときのことは覚えていなくて。覚えてるのは、心細い時に夫が仕事に行ってしまうので、この人には頼ることはできないんだと思ったこと。余震がすごくてしばらく不安だった時期にも夫が仕事ばかりで、本当に泣きたかったこと。ほぼ恨んでいたと思う。
でもさっきふと、当時私は
『守ってもらいたい』
って思ってたんだなと思いました。
今では、守ってもらいたいなんて思わない。
私が主体で大事にしている人を守るし支えたいし。元夫を恨むのはお門違いだと思いました。
当時の私は自分の意思もないし経済力もなかったから。あのまま、自分は努力しないで誰かに助けてもらおうとするような生き方をしていたら、ずっとずっと、つまらなかっただろうな~。
守ってあげるとかもらいたいとかじゃなくて、お互いを大切にするということなんだよね。
何もあげないし、もらっても返さないような生活。当時の私にはそれがわからなかった。
震災のときずっとテレビを見ていて、SNSなんかやっていなかったし、デマの情報はなぜか流れてきて。津波の映像がこわくて、当時はよく悪夢を見てました。車椅子の母を置いて逃げる夢を何度も見た。思い出すとまだ泣けるしまだ辛い。繰り返される映像はいまだに見ないようにしてます。
今住んでいるところは津波の被害はないだろう場所だけど、地震は来るはず。できる限りの備えを。ガソリンは半分になったら給油。歩きやすい靴。食料と水とトイレ。母に必要な物資。
今日、仕事をして、暖かい家で家族皆で、って、当たり前なことに感謝をして、依存するのじゃなく、共存して、私は明日も生きる。