【おやとも定期便をやることになったのは】

私が介護福祉士資格を取得したのは祖母がリウマチという病気だったからです。
関節が壊れていく病気で、祖母は私が子供の頃から歩くことが不自由で晩年は寝たきりに。
おばあちゃんのお世話をしてあげたいなぁという単純で純粋な気持ちから、専門学校に行き、資格を取りました。
その後は特別養護老人ホーム、有料老人ホームに勤めました。昇進による激務で体調を崩してしまい、ケアマネジャーになれる資格まで取得したところで介護の仕事はもうやめてしまいました。
私が大人になる頃、母もリウマチになり、晩年には末期がんによる寝たきりとなり、勉強してきたことや経験をフル活用して自宅での看取りを完了させることができました。
看取りが終わって思ったのは、看取りをしようとしている人達は心が休まらなく辛い、ということ。
母を介護していた当時はコロナが大流行していたため、入院してしまうとお見舞いに行くことができませんでした。時々主治医に呼ばれて面会が叶うものの、母は日に日に衰弱していきました。明日死ぬかもと言われ、会えないまま母とお別れするのはいやだと思い、自宅で看取りをすることに決めました。あの頃私と同じような状況になった人はたくさんいたのではないでしょうか。
母の体をさすったり、そばで話を聞いたり、私の話を延々としたり。家で母と過ごしていた時思っていたのは『お母さんて、いるだけでいいんだな〜』ということ。
でも日々の介護そのものはとても削られるもので、お母さんっているだけでいいと思ったり、早く終わりが来ないかなと思ったり。精神的には不安定だったと思うし、年老いて死んでいく親を目の当たりにすること自体はなかなか厳しかったです。
看取りが終わった時、看取りする立場の人たちのところに訪問して見守り代行をする仕事をしようかな〜なんて思っていました。でも当時はまだ母が亡くなって間もなくのため、他人の生死にメンタルが耐えられないだろうと予測。その仕事は私の中で御蔵入りに。でもきっと困っているであろう人達の役に立ちたいという気持ちは強くなっていきました。
家事代行の仕事も『人の役に立つ』をいつもテーマにしていた私にとってはまさにぴったりの仕事で、今日までたくさんの人を助けたと思います。
その中で感じているのは、家事を片付けることよりも『大変なことをわかってほしい』とか『独りではがんばれない』とか、そっちに私が共感することが大事なのでは?ということです。
私が行って家事が完了することはもちろんだけど、お客様にとっては話を聞いてもらえることがかなり良いのではないかと。多忙でほとんど会えないお客様もいますが、会えた時にはずっとおしゃべりをしています。
日々がんばっていることを自分でも家族でもない人から労われたり、実際に触れてケアしてもらえることはストレスと疲労の軽減になるのだと思います。
私は反抗期もなく大人になり、母が死ぬまで母に対して優しく接してきたので、『親には素直になれない』という気持ちにはあまり共感できないのですが、他人にも家族にもやさしくできるというのは私の強みだと思っていて、この能力は広く役立てるべきだと考えています。
介護という世界を半ば諦めて退職しているため、日々、今の経験値ならあの現場をうまく回せたかもしれない、等と思ったりすることも実は多くて、今回、『行ってもらえたらいいな』というお声をもらって、また高齢者に向けた仕事に挑戦できるなぁと。
しかし『おやとも定期便』は介護をするわけではありません。日々に楽しみを作ることでいつまでも元気に過ごす!ということがテーマになってきます。
私ができることはたくさんあって、その中でもいちばん得意なことが『初めて伺うお家で仕事をする』ということです。そのお客様がいったい何をしてほしいのか、自分のやるべきことは何なのかを察して、手早く、時間を無駄にせず、仕事をすることができます。
私が人生で最初にやろうとがんばった仕事を、おやとも定期便という形で復活させることができ、今日までやってきたことが繋がったのだと思います。
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