緊急手術。急変時の意思確認書
母が急性腎不全で入院し、手術をすることになりました。
3年連続この季節に入院してます。
入院に伴って、様々な書類にサインをするんですが。
入院申込書に始まり、普段の生活を聞く問診票、医師の説明を受けましたよ確認書、輸血するけどリスクあるからね確認書、そしていちばん恐ろしいのが、
『急変したらどうする?確認書』
です。
私の中で延命措置は酷なもの。
20代の頃、特別養護老人ホームで働いていたことがあり、寝たきりで体も拘縮(こうしゅく)し、胃に穴をあけて栄養をとる胃僂(いろう)、じょくそう(床ずれ)、塞がらない口の口腔ケア、特別浴槽での入浴、下剤での排便コントロール、微熱が続くので入浴できない全身清拭、みたいな方々をケアしていました。
認知症で体が元気な利用者さんのケアよりは本人が動けない分楽でしたが、ケアしながら
『この人いつまでこのままなんだろう』
って、死ぬ日を待ってたと思います。
病院での延命措置は、私の叔母が脳腫瘍で亡くなる前の数日間、毎日お見舞いに行きながら見ていましたが、きっと私はどこかで
『早く終わればいいのに』
って思ってたと思います。
延命措置にそういうイメージのある私は、このおそろしい確認書にいつもものすごくストレスを感じます。
死なないでほしいけど、苦しまないでほしい、そしていきなり死ぬ可能性を示唆するからこわいんです。
この書類は必要なのはわかるけど、いつも動揺してしまう。
母の隣で一緒に説明をうけながら、この書類に差し掛かかると、私は何も言えなくなってしまいました。
苦しまないでほしい=延命措置をしないでほしい
という気持ちが、母が大事なのか煩わしいのかわからなくなり、延命措置を希望しないでくれと思ってしまいます。
けれど、母が自分で選んだのは
『なにがなんでも延命』
の項目でした。
私は、勝手に母は生きるのが辛いんじゃないのかって思ってたんだと。
母が手術直前に見せた力強さに私はこの人大丈夫だな、って思ったんです。
腎臓に穴をあけて排尿させる、腎僂(じんろう)の設置手術、腎臓は出血が多くなるかもしれないと医師から説明を受けました。
手術は無事に終わりましたが、腎臓がとても重要な臓器であることや、急変の可能性を私の中でなしにはできないので、いまだ心配ではありますが、退院日は近い気がします。
このまま急変して死んだとしても、私はどうすることもできない。
母が退院したら、一緒に出掛ける計画を立てています。
お見舞いは、特別何をするわけでもなく、そばにいるだけでいい。
入院中に悪いとこ全部治るといいなぁ。