私が『氷のように冷たかったり厳しい人が好き』なわけ
私は一見穏やかで人当たりよく、なんでも許してくれそうっていうか馴れ馴れしくしてもよさそう、みたいな枠にいるみたいです。
基本的に色んな人と仲良くしたいなぁと思ってはいますが。親しくなれる人はあんまりいない。
そんなのみんなそうなんだろうけどさ。好き嫌いは激しいし、嫌いになってから無関心になるまでが早くて、好きな人ばかりの中で過ごしています。
私は目標や課題がある時は、信頼できる人に相談します。そうすると私の信頼している人は『ヒント』をくれます。
調べればわかることや、自分でなんとかできることをやって欲しいわけではないから、そのヒントから自分で正解というゴールにたどり着くことができます。
ゴールにたどり着いたら、また課題があって、またヒントをもらう、またゴール、課題、ヒント、ゴール、の繰り返しです。
私が冷たくて厳しい人が好き、という意味は、いつも冷静で、先を見ている、私のことを把握してくれているから、ということです。
無闇に冷たくて厳しい人は自分のことしか見えないただの未熟者です。
普段は穏やかにやさしく人当たりがよいのに、私の課題を察知して淡々と導いてくれる、それは実績や経験を積んだ人にしかできない技。
言葉に意味がある。そういう人を私は信頼しています。
だから、若気の至りとしか思えないような強がりや、実績のない人の言葉は聞きません。っていうか聞こえない。
また、無闇にやさしい人も同様に信用しません。そういう人は、現実を全く見ようとしてないし、もちろん私のことも見ていない。私のことを見ていない人に、何も相談することなどできません。
誰にでもやさしい人は誰にもやさしくない。自分しか見えてないからね。
私を見て、その上で厳しくしてくれる、次の課題への階段も用意してくれる。
そこまでしてくれる人が身近にいる。私はかなり運がよい。ついてるなーって思います。